南禅寺方丈

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南禅寺方丈庭園は小堀遠州作と伝えられ、江戸時代初期の代表的枯山水庭園「虎の子渡の庭」の通称があり、 江戸初期の代表的な枯山水庭園として知られる。「虎の子渡し」虎の子渡しとは何なのか、母虎と3匹の子虎が川を渡ろうする子虎の1匹はどう猛で、母親がいないと他の2匹を食い殺してしまいます。しかしながらその3匹を川の対岸に渡さなければただ1匹ずつしか連れて渡れません。2匹が喰われることなく3匹とも渡すためにはどうすれば良いか,まずどう猛な子を連れて渡ります。そして戻ってきて次の1匹を連れて渡ります。その時、どう猛な子を連れて戻ります。そしてどう猛な子を残し、もう1匹連れて渡ります。今度は母虎1匹で戻り、再びどう猛な子を連れて渡るのです。どんな子にも均しく愛情をそそぐことという教訓が込められています。 一般に禅宗という呼びかたは、坐禅を生命とする宗派の意味であり、臨済宗・黄檗宗・曹洞宗の三宗の総称です。臨済宗・黄檗宗には15の本山があり、南禅寺はそのうちの一つで、南禅寺派の大本山





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# by ryukaze | 2017-01-09 12:25 | 京都

南禅寺方丈


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禅宗という呼びかたは、坐禅を生命とする宗派の意味であり、臨済宗・黄檗宗・曹洞宗の三宗の総称です。臨済宗・黄檗宗には15の本山があり、南禅寺はそのうちの一つで、南禅寺派の大本山





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# by ryukaze | 2017-01-07 21:28 | 京都

宇治・平等院

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本尊阿弥陀如来像(国宝)は仏師定朝の確証ある唯一の遺作である



宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルとも言われる左大臣である嵯峨源氏源融(みなもと の とおる)が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。道長は万寿4年(1027年)に没し、その子の関白藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりである。開山(初代執印)は小野道風の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊である。創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていたが、翌天喜元年1053年)には、西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。
平等院は父(道長)偲んで法成寺を範となった寺院でもあり世界遺産にも登録されている、仏師定朝(平安時代後期多)によってくの仏像に影響を与えた又10円玉や1万円札(裏面)でお馴染みの有難い寺院でもあり法成寺(廃絶)を想い興せる。
 
法成寺は寝殿造のような構造で池も ある。まず東の五大堂から入り、東橋を渡って中島、西橋を渡り、西の阿弥陀堂に入る。釈迦の涅槃絵と同じように、頭北面西に寝る。九体の阿弥陀の手から九本の糸を引き、 それを握りしめ、西方浄土を願いつつ往生した。九体の九は九つの世界の意、 南北朝初期にたびたび災難にあい、廃絶する現在は、石標が残るただし東北院(左京区浄土寺)のみあり。
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# by ryukaze | 2016-01-28 13:17 | 旅行地域

宇治・平等院

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平安時代の貴族が建立した寺院が建物、仏像、壁画、庭園まで含めて残存するという点で、平等院は唯一の史跡である。
宇治川の西岸にあった源重信の別荘をその夫人から藤原道長が譲り受け、その子頼通が永承7年(1052年)、寺に改めたもの創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていた。翌天喜元年(1053年)には、西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。
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# by ryukaze | 2016-01-27 12:02

宇治・平等院

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宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれた 藤原一族の栄枯盛衰の地でもある.
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# by ryukaze | 2016-01-23 16:47

詩仙堂

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徳川家康が起源の圓光寺、石川丈山の草庵後の詩仙堂、芭蕉が訪れた記念の芭蕉庵がある金、 福寺桓武天皇が平安京の鬼門として不動産を安置したのがはじまりの狸谷山不動院など、又宮本 武蔵と吉岡一門一乗寺下がり松の決斗ゆかりの地...・・・・・・

かつては凹凸か(おうとつか:でごぼこの土地の上に建てた家の事)と言われたが、狩野探幽に 描かせた自分の肖像画など36人の詩人画を詩仙の間に掲げたことから詩仙堂と呼ばれ、小さな 山に迷い込んだような野趣溢れる庭が現れる静けさの中にししおどし(鹿威し)が響く幾度も来 ているが何故か心が和み満足して家路に着く

石川丈山は三河武士の一族で徳川家(松平家)に仕える譜代武士の家に生まれた。一途な性格で 早く功を挙げたいと思い、大叔父のもとで武芸を学んだ。1598年(慶長3年)徳川家康の近侍となり、 その忠勤ぶりに信頼を寄せられた。・・・・・ 論功行賞どころか蟄居の身となった。平穏な時勢を悟り武士をやめて妙心寺に入った。
1617年(元和3年)頃、知人・林羅山の勧めによって藤原惺窩に師事し、儒学を学んだ。文武にす ぐれると評判になった丈山には各所から仕官の誘いが多かったものの、仕官するつもりはなかった。
しかし病気がちな母を養うために紀州(和歌山県)和歌山の浅野家に数ヶ月、また板倉重宗の勧め に従って安(広島県)広島藩の浅野家に13年ほど仕えた。母が亡くなると引退を願い、翌年強引 に退去し京に出て相国寺の近くに睡竹堂をつくり隠棲し始めた。
4年後、洛北のこの地に(詩仙堂)を1641年(寛永18年)に建てて終の棲家と定めた。この時、洛東 の隠者木下長嘯子(北政所の兄・木下家定の嫡男)の歌仙堂・洛翠庭園の画仙堂は京都・・・三仙堂 作庭に長じたとも言われ本願寺只穀邸(渉成園)や京都田辺の一休寺の庭園は石川丈山の手に なるものと伝えられている。 清貧を旨として学問に没頭し30数年を過ごし、90歳で死去した。
なお、鷹が峰の本阿弥光悦、八幡の松花堂昭乗(松花弁当)と共に、幕府の意を受けて京中の監視 をしていたとの説もある。茶の道にも精通しており、煎茶の元祖であったとも いわれています。また、 松尾芭蕉にも少なからず影響うを与えた。
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# by ryukaze | 2015-11-22 15:52 | 京都

詩仙堂

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石川丈山を知らなくてもしおどし(鹿威し)を知らない人は少ないでしょう。

石川丈山の草庵後の詩仙堂、芭蕉が訪れた記念の芭蕉庵がある金福寺、桓武天皇が平安京の鬼門として不動産を安置したのがはじまりの狸谷山不動院など、又宮本武蔵と吉岡一門一乗寺下がり松の決斗ゆかりの地...よく行く洛北地。
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# by ryukaze | 2015-11-21 14:25 | 京都

宝厳院

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宝厳院 ほうごんいん)は、臨済宗大本山天龍寺の塔頭寺院のひとつ。寛正2年(1461年)、細川頼之が聖仲永光を開山に招聘して創建。当時は現在の京都市上京区にあった。応仁の乱(1467年- 1477年)に巻き込まれて焼失し、天正年間(1573年 - 1591年)に再興された、明治時代 河川工事のため、寺域が買い上げられ、天龍寺の塔頭寺院のひとつの弘源寺内に移転した。平成14年(2002年)、天龍寺方丈南側の現在を購入して移転、再興した。
“獅子吼(ししく)の庭”と名付けられたこの庭園は、室町時代、禅僧(策彦周良)によって造られた名園で、嵐山を借景にした枯山水式庭園である。

嵐山の全容を借景にする庭園は江戸時代の京都の名所名園案内記「都林泉名勝図会」寛政11年(1799))にも掲載されていたほどの名園又近郊の竹を使用した垣 は自然のままに大胆な作り禅宗などの創作
 
獅子吼(ししく)の庭
仏が説法する意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴くことによって、人生の真理を感じ取るように造られたのだそうだ。借景回遊式庭園。策彦周良の作庭。獅子の形をした獅子岩、岩から生えている破岩の松などが有名。紅葉の名所。旧妙智院庭園は江戸時代には都林泉名勝図会にも紹介された名園・・・・庭の後ろに山や樹木、竹林などの自然物等を庭園内の風景に背景として取り込むことでより自然帯を立体し構成した庭作りだが現代高層建築の建設による景観の変化などで破壊されて居る
 
蓑垣(宝厳院垣)豊丸垣(宝厳院垣)桂離宮垣・建仁寺垣・光悦寺垣よりも竹の特製を利用した処が流石
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# by ryukaze | 2015-11-19 12:34 | 京都

宝厳院 ほうごんいん)

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知る人ぞ知る嵯峨野1・2の紅葉の名勝今夜の寒さで2・3日後が見頃を迎える
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# by ryukaze | 2015-11-18 21:58 | 京都

宝厳院

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西(嵐山)で一位宝厳院 ほうごんいん)は、臨済宗大本山天龍寺の塔頭寺院のひとつ。寛正2年(1461年)、細川頼之が聖仲永光を開山に招聘して創建。
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# by ryukaze | 2015-11-14 14:05 | 京都