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油小路七条の変(新選組)

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新選組によって暗殺された伊東甲子太郎の屍は、絶命した本光寺から油小路七条へ運ばれて放置された。
新井忠雄、阿部十郎、内海次郎が不在(幸運?)でしたが、知らせを聞きつけ、伊東の遺骸を引き取りに来た遺体を駕籠に収容しようとし た鈴木三樹三郎、篠原泰之進、加納道之助、服部武雄、毛内有之助、富山弥兵衛、藤堂平 助の7人を新選組が包囲。激闘が行われました。鈴木三樹三郎、篠原泰之進、加納道之助、 富山弥兵衛、橋本皆助の5人は包囲を破り脱出しましたが、服部武雄、毛内有之助、藤堂 平助の3人は踏みとどまって討死しました。

「油小路で闘死した3名の衛士の遺体状況」

藤堂平助 油小路南西手に倒れおり候・・・傷は両足、横腹2ヶ所、面上鼻より口へかけ深さ2寸ほど、長さ7寸ばかり。刀を握り候まま果ており候。
近藤らと上京し、斎藤一と並んで新選組最年少幹部となりました。当初は近藤の「四天王」に数えられた、旧友達(永倉・斎藤)は剣を交える事を避けたが、子母澤寛の『新選組始末記』

毛内監物 油小路通七条少し上ル東側に倒れおり候・・傷は書き尽しがたし。五体離れ離れに相なり、実に目もあてられぬさまに御座候。かたわらに刀の折れ候ままこれ捨ておかれあり、脇差を握り候まま果ており候。

服部三郎兵衛(武雄) 同所辻北東手に倒れおり候・・傷は背中数ヶ所。これは倒れた候ところを散々に斬りつけ候おもむきにて、傷の数分からず(数えきれず?)。うつむけに倒れおり候を翌日あおむけ候ところ、腕先・三ヶ所、股足・四~五ヶ所、かかと一ヶ所、胴腹一ヶ所。流血おびただしき。
(『鳥取藩慶応丁卯筆記』より作成)

事件当時(旧暦の18日)は、月明かりで家屋の二階から手に取るように見えたという、多くの目撃者(町人)は「散々に斬り合っていたが、八人のうち負傷した二人を三人で介抱しながら逃げ去り、後に三人が踏みとどまった。中に両刀使いの者がいて、襲撃者(新撰組)の方が八、九人も手負いとなったが、遂には刀が折れたところへ総掛りで斃した。」とあるが、両刀使いの者が服部武雄である。
by ryukaze | 2011-07-28 20:07 | 旅行地域